1989年32号、小学校卒業式。上の
写真は当時のもので、下の写真は2002年に再撮影したもの。当時はまだリフトもなく、テラスの植栽も設けられていない。スロープも右側からのぼるようになっていた。
1991年作業用リフトが完成。重さ2トンまで大丈夫。軽自動車ものせることが可能といわれる。スピードは歩くよりも遅い。
1992年1月6日5階沢田家全焼。でもほとんどくじけることなく再建にとりかかる。
悔やまれるのはこれ以前の沢マンに関する資料の焼失。
1994年改修工事により各テラスの花壇が完成し、「陰翳礼讃」とでもいうべき美しいフォルムを持つ沢田
マンションへ変貌。
また、この頃は「沢田民宿」を経営しており、以後98年まで営業を実施。
現在はウィークリーマンションという形で部屋貸が継続中。
1996年沢田マンションを10階建てにするにあたっての
建築確認更新書を提出。確認通知書を受け取り。
1998年4階にプール設置の計画が持ち上がる。しかし、間もなく孫がバスを釣りたいという一言で25坪の釣り堀に変更。
9月24日には高知豪雨で一帯も冠水。
地下室も水没し、油が付近の田園に流出する事故を起こした。
2000年83号室に西山氏が入室。近年の沢マンへの若手住人入居への礎をつくる(2002年退去)。
2002年この年、沢マンブームの火付け役となった27号永野氏が入居(2005年退去)したほか、現18号(当時56号)のタケムラ、現11号(当時5-5号→91号)の11w、16(当時5号)などが入居。
6月には第一回沢田マンション祭りが開催され、140名もの客を招き入れる。
9月には「沢田マンション物語」が出版され、日本各地で注目を集めるが、発行同日建築指導が高知市より入る皮肉な出来事も。
10月30日からは高知市のギャラリーgraffitiにて「
沢田マンション展」を開催し、11月には沢田マンション秋祭りを開催。人数限定の予約制で行なった沢マンツアーには130名以上の来客があった。
2003年3月16日 沢田嘉農さん、逝去。
沢マン住人同士のコミュニティが最も活発だった時期で、夏は沖縄那覇の月光荘の雨柊さんや
広島からあちょう氏(現住人)などが相次いで来マンし、連日盛大な飲み会が催されていた。
2005年「高知遺産」で沢田マンションを紹介。
2006年沢田マンション内に
カフェがオープン(予定)。ART NPO TACOの
事務所も設置される。
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